宠文网 > 吾輩は猫である >  十一 - 6

十一 - 6

书籍名:《吾輩は猫である》    作者:夏目漱石
字体大小:超大 | | 中大 | | 中小 | 超小
上一章目录下一章





「へえ、そうかも知れませんが、やはり芸術は人間の渇仰(かつごう)の極致を表わしたものだと思いますから、どうしてもこれを捨てる訳には参りません」


「捨てる訳に行かなければ、お望み通り僕のヴァイオリン談をして聞かせる事にしよう、で今話す通りの次第だから僕もヴァイオリンの稽古をはじめるまでには大分(だいぶ)苦心をしたよ。第一買うのに困りましたよ先生」


「そうだろう麻裏草履(あさうらぞうり)がない土地にヴァイオリンがあるはずがない」


「いえ、ある事はあるんです。金も前から用意して溜めたから差支(さしつか)えないのですが、どうも買えないのです」


「なぜ?」


「狭い土地だから、買っておればすぐ見つかります。見つかれば、すぐ生意気だと云うので制裁を加えられます」


「天才は昔から迫害を加えられるものだからね」と東風君は大(おおい)に同情を表した。


「また天才か、どうか天才呼ばわりだけは御免蒙(ごめんこうむ)りたいね。それでね毎日散歩をしてヴァイオリンのある店先を通るたびにあれが買えたら好かろう、あれを手に抱(かか)えた心持ちはどんなだろう、ああ欲しい、ああ欲しいと思わない日は一日(いちんち)もなかったのです」


「もっともだ」と評したのは迷亭で、「妙に凝(こ)ったものだね」と解(げ)しかねたのが主人で、「やはり君、天才だよ」と敬服したのは東風君である。ただ独仙君ばかりは超然として髯(ひげ)を撚(ねん)している。


「そんな所にどうしてヴァイオリンがあるかが第一ご不審かも知れないですが、これは考えて見ると当り前の事です。なぜと云うとこの地方でも女学校があって、女学校の生徒は課業として毎日ヴァイオリンを稽古しなければならないのですから、あるはずです。無論いいのはありません。ただヴァイオリンと云う名が辛(かろ)うじてつくくらいのものであります。だから店でもあまり重きをおいていないので、二三梃いっしょに店頭へ吊(つ)るしておくのです。それがね、時々散歩をして前を通るときに風が吹きつけたり、小僧の手が障(さわ)ったりして、そら音(ね)を出す事があります。その音(ね)を聞くと急に心臓が破裂しそうな心持で、いても立ってもいられなくなるんです」


「危険だね。水癲癇(みずてんかん)、人癲癇(ひとでんかん)と癲癇にもいろいろ種類があるが君のはウェルテルだけあって、ヴァイオリン癲癇だ」と迷亭君が冷やかすと、


「いやそのくらい感覚が鋭敏でなければ真の芸術家にはなれないですよ。どうしても天才肌だ」と東風君はいよいよ感心する。


「ええ実際癲癇(てんかん)かも知れませんが、しかしあの音色(ねいろ)だけは奇体ですよ。その後(ご)今日(こんにち)まで随分ひきましたがあのくらい美しい音(ね)が出た事がありません。そうさ何と形容していいでしょう。とうてい言いあらわせないです」


「琳琅鏘(りんろうきゅうそう)として鳴るじゃないか」とむずかしい事を持ち出したのは独仙君であったが、誰も取り合わなかったのは気の毒である。


「私が毎日毎日店頭を散歩しているうちにとうとうこの霊異な音(ね)を三度ききました。三度目にどうあってもこれは買わなければならないと決心しました。仮令(たとい)国のものから譴責(けんせき)されても、他県のものから軽蔑(けいべつ)されても――よし鉄拳(てっけん)制裁のために絶息(ぜっそく)しても――まかり間違って退校の処分を受けても――、こればかりは買わずにいられないと思いました」


「それが天才だよ。天才でなければ、そんなに思い込める訳のものじゃない。羨(うらやま)しい。僕もどうかして、それほど猛烈な感じを起して見たいと年来心掛けているが、どうもいけないね。音楽会などへ行って出来るだけ熱心に聞いているが、どうもそれほどに感興が乗らない」と東風君はしきりに羨(うら)やましがっている。


「乗らない方が仕合せだよ。今でこそ平気で話すようなもののその時の苦しみはとうてい想像が出来るような種類のものではなかった。――それから先生とうとう奮発して買いました」


「ふむ、どうして」


「ちょうど十一月の天長節の前の晩でした。国のものは揃(そろ)って泊りがけに温泉に行きましたから、一人もいません。私は病気だと云って、その日は学校も休んで寝ていました。今晩こそ一つ出て行って兼(かね)て望みのヴァイオリンを手に入れようと、床の中でその事ばかり考えていました」

上一章目录下一章
本站所有书籍来自会员自由发布,本站只负责整理,均不承担任何法律责任,如有侵权或违规等行为请联系我们。