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八 - 9

书籍名:《吾輩は猫である》    作者:夏目漱石
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大事件のあった翌日、吾輩はちょっと散歩がしたくなったから表へ出た。すると向う横町へ曲がろうと云う角で金田の旦那と鈴木の藤(とう)さんがしきりに立ちながら話をしている。金田君は車で自宅(うち)へ帰るところ、鈴木君は金田君の留守を訪問して引き返す途中で両人(ふたり)がばったりと出逢ったのである。近来は金田の邸内も珍らしくなくなったから、滅多(めった)にあちらの方角へは足が向かなかったが、こう御目に懸って見ると、何となく御懐(おなつ)かしい。鈴木にも久々(ひさびさ)だから余所(よそ)ながら拝顔の栄を得ておこう。こう決心してのそのそ御両君の佇立(ちょりつ)しておらるる傍(そば)近く歩み寄って見ると、自然両君の談話が耳に入(い)る。これは吾輩の罪ではない。先方が話しているのがわるいのだ。金田君は探偵さえ付けて主人の動静を窺(うか)がうくらいの程度の良心を有している男だから、吾輩が偶然君の談話を拝聴したって怒(おこ)らるる気遣(きづかい)はあるまい。もし怒られたら君は公平と云う意味を御承知ないのである。とにかく吾輩は両君の談話を聞いたのである。聞きたくて聴いたのではない。聞きたくもないのに談話の方で吾輩の耳の中へ飛び込んで来たのである。


「只今御宅へ伺いましたところで、ちょうどよい所で御目にかかりました」と藤(とう)さんは鄭寧(ていねい)に頭をぴょこつかせる。


「うむ、そうかえ。実はこないだから、君にちょっと逢いたいと思っていたがね。それはよかった」


「へえ、それは好都合でございました。何かご用で」


「いや何、大した事でもないのさ。どうでもいいんだが、君でないと出来ない事なんだ」


「私に出来る事なら何でもやりましょう。どんな事で」


「ええ、そう……」と考えている。


「何なら、御都合のとき出直して伺いましょう。いつが宜(よろ)しゅう、ございますか」


「なあに、そんな大した事じゃ無いのさ。――それじゃせっかくだから頼もうか」


「どうか御遠慮なく……」


「あの変人ね。そら君の旧友さ。苦沙弥とか何とか云うじゃないか」


「ええ苦沙弥がどうかしましたか」


「いえ、どうもせんがね。あの事件以来胸糞(むなくそ)がわるくってね」


「ごもっともで、全く苦沙弥は剛慢ですから……少しは自分の社会上の地位を考えているといいのですけれども、まるで一人天下ですから」


「そこさ。金に頭はさげん、実業家なんぞ――とか何とか、いろいろ小生意気な事を云うから、そんなら実業家の腕前を見せてやろう、と思ってね。こないだから大分(だいぶ)弱らしているんだが、やっぱり頑張(がんば)っているんだ。どうも剛情な奴だ。驚ろいたよ」


「どうも損得と云う観念の乏(とぼ)しい奴ですから無暗(むやみ)に痩我慢を張るんでしょう。昔からああ云う癖のある男で、つまり自分の損になる事に気が付かないんですから度(ど)し難(がた)いです」


「あはははほんとに度(ど)し難(がた)い。いろいろ手を易(か)え品を易(か)えてやって見るんだがね。とうとうしまいに学校の生徒にやらした」


「そいつは妙案ですな。利目(ききめ)がございましたか」


「これにゃあ、奴も大分(だいぶ)困ったようだ。もう遠からず落城するに極(きま)っている」


「そりゃ結構です。いくら威張っても多勢(たぜい)に無勢(ぶぜい)ですからな」


「そうさ、一人じゃあ仕方がねえ。それで大分(だいぶ)弱ったようだが、まあどんな様子か君に行って見て来てもらおうと云うのさ」


「はあ、そうですか。なに訳はありません。すぐ行って見ましょう。容子(ようす)は帰りがけに御報知を致す事にして。面白いでしょう、あの頑固(がんこ)なのが意気銷沈(いきしょうちん)しているところは、きっと見物(みもの)ですよ」


「ああ、それじゃ帰りに御寄り、待っているから」


「それでは御免蒙(ごめんこうむ)ります」


おや今度もまた魂胆(こんたん)だ、なるほど実業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃殻(もえがら)のような主人を逆上させるのも、苦悶(くもん)の結果主人の頭が蠅滑(はえすべ)りの難所となるのも、その頭がイスキラスと同様の運命に陥(おちい)るのも皆実業家の勢力である。地球が地軸を廻転するのは何の作用かわからないが、世の中を動かすものはたしかに金である。この金の功力(くりき)を心得て、この金の威光を自由に発揮するものは実業家諸君をおいてほかに一人もない。太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのも全く実業家の御蔭である。今まではわからずやの窮措大(きゅうそだい)の家に養なわれて実業家の御利益(ごりやく)を知らなかったのは、我ながら不覚である。それにしても冥頑不霊(めいがんふれい)の主人も今度は少し悟らずばなるまい。これでも冥頑不霊で押し通す了見だと危(あぶ)ない。主人のもっとも貴重する命があぶない。彼は鈴木君に逢ってどんな挨拶をするのか知らん。その模様で彼の悟り具合も自(おのず)から分明(ぶんみょう)になる。愚図愚図してはおられん、猫だって主人の事だから大(おおい)に心配になる。早々鈴木君をすり抜けて御先へ帰宅する。

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