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四 - 12

书籍名:《吾輩は猫である》    作者:夏目漱石
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「君は何にも知らんからそうでもなかろうなどと澄し返って、例になく言葉寡(ことばずく)なに上品に控(ひか)え込むが、せんだってあの鼻の主が来た時の容子(ようす)を見たらいかに実業家贔負(びいき)の尊公でも辟易(へきえき)するに極(きま)ってるよ、ねえ苦沙弥君、君大(おおい)に奮闘したじゃないか」


「それでも君より僕の方が評判がいいそうだ」


「アハハハなかなか自信が強い男だ。それでなくてはサヴェジ·チーなんて生徒や教師にからかわれてすまして学校へ出ちゃいられん訳だ。僕も意志は決して人に劣らんつもりだが、そんなに図太くは出来ん敬服の至りだ」


「生徒や教師が少々愚図愚図言ったって何が恐ろしいものか、サントブーヴは古今独歩の評論家であるが巴里(パリ)大学で講義をした時は非常に不評判で、彼は学生の攻撃に応ずるため外出の際必ず匕首(あいくち)を袖(そで)の下に持って防禦(ぼうぎょ)の具となした事がある。ブルヌチェルがやはり巴里の大学でゾラの小説を攻撃した時は……」


「だって君ゃ大学の教師でも何でもないじゃないか。高がリードルの先生でそんな大家を例に引くのは雑魚(ざこ)が鯨(くじら)をもって自(みずか)ら喩(たと)えるようなもんだ、そんな事を云うとなおからかわれるぜ」


「黙っていろ。サントブーヴだって俺だって同じくらいな学者だ」


「大変な見識だな。しかし懐剣をもって歩行(ある)くだけはあぶないから真似(まね)ない方がいいよ。大学の教師が懐剣ならリードルの教師はまあ小刀(こがたな)くらいなところだな。しかしそれにしても刃物は剣呑(けんのん)だから仲見世(なかみせ)へ行っておもちゃの空気銃を買って来て背負(しょ)ってあるくがよかろう。愛嬌(あいきょう)があっていい。ねえ鈴木君」と云うと鈴木君はようやく話が金田事件を離れたのでほっと一息つきながら


「相変らず無邪気で愉快だ。十年振りで始めて君等に逢ったんで何だか窮屈な路次(ろじ)から広い野原へ出たような気持がする。どうも我々仲間の談話は少しも油断がならなくてね。何を云うにも気をおかなくちゃならんから心配で窮屈で実に苦しいよ。話は罪がないのがいいね。そして昔しの書生時代の友達と話すのが一番遠慮がなくっていい。ああ今日は図(はか)らず迷亭君に遇(あ)って愉快だった。僕はちと用事があるからこれで失敬する」と鈴木君が立ち懸(か)けると、迷亭も「僕もいこう、僕はこれから日本橋の演芸(えんげい)矯風会(きょうふうかい)に行かなくっちゃならんから、そこまでいっしょに行こう」「そりゃちょうどいい久し振りでいっしょに散歩しよう」と両君は手を携(たずさ)えて帰る。

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