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二 - 17

书籍名:《吾輩は猫である》    作者:夏目漱石
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吾輩は名前はないとしばしば断っておくのに、この下女は野良野良と吾輩を呼ぶ。失敬な奴だ。


「罪が深いんですから、いくらありがたい御経だって浮かばれる事はございませんよ」


吾輩はその後(ご)野良が何百遍繰り返されたかを知らぬ。吾輩はこの際限なき談話を中途で聞き棄てて、布団(ふとん)をすべり落ちて椽側から飛び下りた時、八万八千八百八十本の毛髪を一度にたてて身震(みぶる)いをした。その後(ご)二絃琴(にげんきん)の御師匠さんの近所へは寄りついた事がない。今頃は御師匠さん自身が月桂寺さんから軽少な御回向(ごえこう)を受けているだろう。


近頃は外出する勇気もない。何だか世間が慵(もの)うく感ぜらるる。主人に劣らぬほどの無性猫(ぶしょうねこ)となった。主人が書斎にのみ閉じ籠(こも)っているのを人が失恋だ失恋だと評するのも無理はないと思うようになった。


鼠(ねずみ)はまだ取った事がないので、一時は御三(おさん)から放逐論(ほうちくろん)さえ呈出(ていしゅつ)された事もあったが、主人は吾輩の普通一般の猫でないと云う事を知っているものだから吾輩はやはりのらくらしてこの家(や)に起臥(きが)している。この点については深く主人の恩を感謝すると同時にその活眼(かつがん)に対して敬服の意を表するに躊躇(ちゅうちょ)しないつもりである。御三が吾輩を知らずして虐待をするのは別に腹も立たない。今に左甚五郎(ひだりじんごろう)が出て来て、吾輩の肖像を楼門(ろうもん)の柱に刻(きざ)み、日本のスタンランが好んで吾輩の似顔をカンヴァスの上に描(えが)くようになったら、彼等鈍瞎漢(どんかつかん)は始めて自己の不明を恥(は)ずるであろう。

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